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京都地方裁判所 昭和55年(ワ)562号 判決 1982年10月07日

原告

有本春男

右訴訟代理人

浅岡美恵

右訴訟復代理人

戸倉晴美

被告

京和タクシー株式会社

右代表者

渡辺昭二

右訴訟代理人

猪野愈

主文

被告は原告に対し金三二四万〇三九〇円及び内金二九四万〇三九〇円に対する昭和五三年一月一日から、内金三〇万円に対する昭和五七年一〇月八日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その二を原告の負担とする。

この判決第一項は仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一損害の発生

請求原因1の(一)ないし(三)、同(五)及び(七)の事実は当事者間に争いがなく、この事実と<証拠>によると次の事実を認めることができる。

被告は、営業用普通乗用自動車を所有し運転その他の業務に従事する従業員を雇用し、旅客自動車運送(タクシー)事業を営む会社である。

原告は、被告会社に雇用されるに先立つて昭和五二年一二月五日同会社の面接テストを受けまた同会社の指定した京都市中京区富小路錦小路上る財団法人京都結核予防研究会中央診療所で一般健康診断を受診し同月八日被告会社に従業員として雇入れられ以来タクシー運転業務に従事していた。ところが、前記健康診断の結果によると原告の左上肺野に異常陰影がありさらに精密検査を必要とする旨の判断がなされ同月八日中央診療所から被告会社に対し、「左肺浸潤の疑、要精査」と通知されたにもかかわらず被告会社は原告を健康者と同様にタクシー運転業務に従事させていた。原告は昭和五三年六月頃から疲労感を強く感じるようになり心窩部痛、食欲不振、全身倦怠感等を訴えて、同年六月二三日から同年七月七日までの間に三日間京都市西京区大枝通新林町六丁目一五の八内田医院で、また同年七月一〇日、一一日の二日間同町三丁目一番地塩見内科医院で診察を受けたが、胃腸検査、肝機能検査を受けただけで特に異常所見なしとされた。

その後、昭和五三年七月二七日中央診療所において被告会社の従業員に対する定期健康診断が実施されその結果によつて原告は被告会社から要精密検査である旨通知された。原告は同年八月七日中央診療所において精密検査を受診したところ昭和五二年一二月五日実施の前回健康診断以降八か月間の間に原告の左上肺野の異常陰影が増大悪化しており要休養直ちに入院加療を要する肺結核と診断された。そのため原告は昭和五三年八月七日以来休職し同月一七日から昭和五四年九月二日に至るまで京都市西京区山田平尾町一七番地京都桂病院に入院し同病院を退院後は中央診療所に通院して自宅療養を続けているが退院当時なお不安定病巣が残存し当分は労働に就くことなく治療の継続を要するとされていた。

昭和五五年三月七日の中央診療所での診断では、同年春頃より治療を行いながら軽作業から始め病状を観察しながら徐々に仕事量を増やしてみることができる状態であつた。

原告は被告会社から昭和五四年一一月二八日に解雇の予告通知を受け、同年一二月二八日をもつて被告会社を解雇された。

以上の事実が認められた右認定を左右するに足りる証拠はない。

二被告会社の責任

1  労働安全衛生法は憲法二七条をうけて事業者に種々の義務を課しており被告会社は旅客運送事業者として雇用している労働者の健康を保持すべき義務を負う。すなわち、

(一)  労働安全衛生法六六条及び同規則四三条、四四条に基づき、労働者の雇入時に胸部エックス線検査及びかくたん検査等の健康診断を実施する義務を負担し、

(二)  右健康診断の事後措置として同法六八条及び同規則四六条に基づき、結核にかかつた労働者に対し就業を禁止し、又右に至らない場合でも結核の発病の虞れがあると診断された労働者に対しておおむねかくたん検査、聴診、打診その他必要な精密検査を行なう義務を負担している。

このように、被告会社は労働安全衛生法、同規則により労働者に対する健康診断の実施が義務づけられており右健康診断の結果は、事業者が労働者を採用するかどうかを判断するうえの資料となるばかりでなく、採用後は労働者の健康を管理するための指針となり労働者自身もまた自己の健康管理を行なううえで重要な資料となるものであり、同法、同規則が専ら労働者の職場での健康維持を立法趣旨としていることからも、殊に労働者の健康状態が不良かまたはその疑がある場合は採用後遅滞なく労働者に健康診断の結果を告知すべき義務があるものというべきである。

これを前記事実に則してみると、被告会社は中央診療所から原告の健康状態に疑があるとの連絡を受けたことを十分承知していたのであるから、原告に再度精密検査を受診させその健康状態を正確に把握するうえからも雇用した昭和五二年一二月八日頃以降には遅滞なく中央診療所からの結果を原告に伝えるべきであつたというべきである。

そして、前記事実と<証拠>を総合すれば、中央診療所が昭和五二年一二月八日に同月五日実施の原告に対する健康診断の結果を被告会社に連絡していたのにかかわらず原告は精密検査を受けるために中央診療所へ行つていないこと、原告の上司である松永四郎は原告の精密検査受診の結果について本社に確認しておらず被告会社も原告が精密検査を受けたか否かを診療所あるいは原告に確認していないこと、昭和五三年八月七日の定期健診における精密検査の際原告は健診担当医師今井節朗に対して「採用時健診の結果精密検査を要するということは会社から何も聞いていなかつた。」と申し述べていること、昭和五三年六月ころから原告が疲労感から内田医院、塩見内科医院で診察を受けているけれどもその際の検査は、肝機能などにとどまり呼吸器についての検査は受けていないことが認められ、これらの事実を総合すれば、原告は自己が採用される際受けた健診の結果、左肺潤の疑いで精密検査が必要とされていたことを知らなかつたものと認めるのが相当であり、そうすると被告会社は原告に対して要精密検査の事実を告知していなかつたものと認めることができる。被告会社は、昭和五二年一二月五日実施された間接撮影結果を同月八日被告会社八条口営業所長松永を通じて口頭で原告に告知し精密検査を受けるよう伝えた旨主張するけれども、右主張に添う<証拠>は、にわかに信用することはできない。

2  <証拠>によれば、昭和五二年一二月五日の健診の際の間接写真と昭和五三年八月七日の精密検査の際の直接写真及び断層写真を比較すると間接写真にみられた左上肺野の異常陰影がその後の直接写真等では増大悪化を示し要休養及び入院加療が必要な程度になつており、被告会社において原告を雇用した時点で精密検査をして病状を明確にさせていたなら軽作業をしながら治療することが可能であつたことが認められ、右事実によれば被告会社が原告を雇用するに際して原告に要精密検査の通知がきていることを知らせず原告に結核の早期発見、早期治療の機会を与えず健康状態を正確に把握しないままで就労させた結果昭和五三年七月二七日被告会社の定期健康診断により直ちに入院加療を要するまでに病勢が進行していたものと認めることができる。尤も、私生活上の生活態度も病勢進行に影響がないとはいえないけれども原告の労務内容からみて主として被告会社における労務が病状悪化に寄与したものというべく他の事情がこれに加わつたものと認めるべき証拠はない。

3 そうすると、被告会社は、原告を雇用したことに伴つて労働者である同人の健康を保持し健康に異常の疑いがある場合には早期にその状態を確認して就労可能性の有無、程度を見極め異常が発見されたときは医師の指示に従つて就労を禁止するか適当な軽作業に就かせもつて健康状態の悪化することがないよう注意すべき義務があつたのにもかかわらずこれを怠つたものといえるから、原告に対し右義務の懈怠により原告に生じた損害を賠償すべき義務があるものというべきである。<以下、省略> (吉田秀文)

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